法术

面談

「面談」と聞くとピリッと体に緊張が走ります。
篠原紙工でも年に数回、社長と社員1対1で、面談というものをやっています。
私も入社した頃に1度だけ社長と面談をし、とても緊張したのを覚えています。いわゆる「出る杭は打たれる」で何か一言、釘を刺されるようなことは言われるであろう…と想像していましたから。幸い、その出る杭は会社全体にとっては都合が良いことだったようで、お互いの考えを話し合い、充実した時間となったのを覚えています。その後、私の面談時間は自然と消えました。


これで良かったと思っています。
改めて時間を作らずとも、日々の雑談や仕事を通してお互い思うこと、考えること、この先こうしたい、というビジョン等々を話し合う。時に共感、違えば新たな考えとして受け止めてみる、もしくは自分の中に新しく取り入れてみる。そんな小さな積み重ねの方が私には性分にあっているし、そういうことがやりやすい社内環境はとても喜ばしいことだなと…思っております。これが社員全員、一人一人と日々より深く分かり合って話し合えていたら、「面談」というものは篠原紙工から消えるのだろうか?そんなことも想像するのですが、面談自体が嫌なことなのではない。

なぜ私は面談と聞いて緊張するのか?
恐らく、過去の経験からによる刷り込みにしかすぎないのだろうけど、一方的な評価や判断、出来ないことをただ羅列され(事実なのだけど)自分の能力の低さに落ち込む、以上。というのが嫌だったのだと思います。「じゃあどうしようか?」というのにならない面談。自分という人間を知らないのに評価されてもなぁ、と思う反面、自分がどんな人間なのか、何ができて、何ができないのかも自分から伝えてない。そもそも自分はどうしたいのだ ? これでは何を言われても仕方ないから…まぁ、いいっか。で、これまでどれだけやり過ごしてきたことか。

やっぱり、人と関わるのであれば常に相手がどんな人間なのか、どんな考えを持っているのかと知ろうとすること、そして最低限でも自分のことも知ってもらうことは大事なんだと思います。そして、安心して話せる環境を整えることも大事かな。まぁ、ここまで考える人はいないかもだけど、篠原紙工での「面談」は変えてしまおうと計画中です。

法术04