法术

頑張ったと思えるとき

定期的なお仕事の一つとして、御朱印帳をつくっています。とても美しいデザインで、制作ルームに積み重なった御朱印帳を見ると、場所も心も華やかになります。そんな弊社にとってありがたい御朱印帳ですが、今回どうしても手で微調整をする工程が必要となり、私も制作に入り手を動かしながら考えたことを少し書きます。

最後の仕上げ部分を何人かのスタッフで行ったのですが、ここでつくったものが日本中、なんなら世界中の誰かの手に渡って神社巡りを楽しくしているのかと思うとやっぱり美しいものを出したい。これを手に取った人が、何気なく御朱印帳を見て「あ、ここの貼り位置がズレてる、雑だな」と思わせたくないというか、自分の中で「こうしたい、こう思ってもらいたい」という意志が出てくるところから氣の入った仕事のスタートだなって思います。

でも、手作業だと時に失敗して貼り位置やカットズレが出てしまうわけです。そんな時、「これはアリかな〜、微妙だなぁこのズレ、醜いとまではいかない…数もギリギリだし」とか葛藤が始まるのです。完璧にB級品になってしまえば判断も楽なのですが、B級品にまでいかない、もしかしたら作業してる人しかわからない程度の微妙なものが出る時があります。その微妙なものの判断をすることが私には非常にストレスで、簡単な話、B級はもちろんその微妙なものを出さないことが一番なのですが…。技術や器用さの問題でしょうか。

現実、悲しいかなB級品やBにはいかない微妙な「ちょい惜しい級」を出してしまう原因は自分のやり方にあるわけで、そこの原因を見極めて見直すしかないのですよね。ズレの原因は定規とカッターを使う際の力の入れ加減が一定でないから、となるとカッターの刃を置いて切る前の(一瞬の)精神統一が必要で、でもずーっとその意識を続けていたら疲労困憊です。(治具を作るとかそういう方法もあるけどね)で、どうするかというと、キモとなるとこだけはめちゃくちゃ集中するけど他は緩める、そうやってエネルギーが保てるように無意識にその繰り返しをやっている気がします。

時々アシストをする立場の私としては、手を動かしながらも適度に仲間と笑い話をすることも大事で、話の中で相手のことを知ることもあるし、それに時折大笑いすると仕事が捗る気がするのだけど、気のせいですかね。私の中では、楽しくかつ丁寧に時間内に仕事ができた、というのが良い仕事、頑張ったと思える基準の一つ。丁寧に時間内に、軽やかに「よし、頑張ったー!」ていうのとピンと張り詰めた緊張感の中で仕事をして「頑張ったけど、なんか、ぐったり」っていうのとでは終わった時の快感度が違います。

どっちに流れをもっていくかは自分次第なところもあり、職場環境もあるとは思いますが、自己満足だとしても、そういった自分の中の(頑張った)基準を一つ持つことで仕事のメリハリが出てくるなと思います。「頑張る」ってよく使われる言葉だけど、いったい何をどうしたら「頑張った」って自分でいえる状態なのか。そこのところ大事な問いですよね。
どうせ頑張るなら、どうせ疲れるなら、心地よい頑張り方をして疲れて1日を終えたいです。

法术04