海と本
篠原紙工で作った本の紹介文を書いていたときのこと。海もいいな、なんて思いました。内容は海で漂流物を拾い集め、真鍮と組み合わせて制作した作品集。海にながれ着いたものでオブジェを作る、コレクションをするということは聞いたことがあったけれど、この本の著者でアーティストのO’Tru no Trus(オートゥルノトゥルス)さんの作品は海の漂流物とは思えない洗練されたアート作品でした。
そして、偶然にもその週末、私は海のある街へ出かけました。目的は砂浜をひたすら歩いてボーッとすること。朝の海辺に人はほぼゼロ。いるのは空を舞う鳥だけ。さぁ、歩こう。波が足元ギリギリまで来るのを楽しみながら、そう簡単には波に足を取られないからね、という私の気持ちを読み取るかのように波は毎回違う表情をしながら私の足元まで行ったり来たり。
しばらく歩くと、砂浜に落ちているものが気になってきました。海藻、貝殻、石、そしてゴミやプラスチックも混じって。そのうちになんだか拾いたくなって石を拾ってみました。そして触ると自分の手の大きさにフィットする石だったり、滑らかな触り心地、心地いい凸凹感。石ってこんなに魅力的だったけ?そこから自分が好きだなと感じる石を拾いつめてみました。…楽しい。途中で砂浜に座り込み、拾った石を並べると色のグラデーション、大きさ、形、もう全てが美しすぎてじっとながめちゃいました。
砂浜に落ちている石はきっとなんどもなんども波に揉まれて出来上がった形に違いない。そして縁あって私と出会ったのです。普段の道にある石とは違って、角が取れて触り心地がとってもよく、「角が取れて丸くなる」という表現はまさにこれだな、なんて思いました。流木も木なんだけれど、なんだか別の素材になったような感じで海は全てを洗い流し、変化をもたらせる不思議なパワーがあるように感じます。そして、ふと、O’Tru no Trus さんの作品集を思い出しました。彼らの拠点とする沖縄に漂着するものはどんなものだろう?生き物の死骸を使った作品もあったけれど、残念ながら私が歩いた浜辺では見つけられませんでした。でも、もし、これが毎日の日課だったら?きっと毎日違う石や漂流物、波と出会えるのだろう。それか、この石は昨日もここにいたね、と観察したり。
この「綴る」を書きながら、改めて作品集「True noon」を見直したのですが、海へ行く前と後では本の内容の感じ方が違って自分でも驚き。彼らの作品集は文字がほとんどなく、写真と最低限の言葉だけ。静かな海を歩いているとそのような表現になる意味がわかります。砂浜、波の輝き、波が引いた後の浜にできる模様、つい先日私もこの美しさを体感してきたよ、と本に語りかけたくなるようでした。
経験に勝るものはない、私の中の真実の1つ。でも本はいろんなことの疑似体験まではさせてくれると思う。行く前にこの本の紹介文を書いたことで彼らの世界観が私の意識に入り込んでいたのかもしれない。今回、「True noon」について書くタイミングと私の旅が重なったこと、全ては単なる偶然かもしれないけれど、海は無条件に全てのものに変化を与える大きなエネルギーを持っている、そのことに気づいたあなたは何を思う?そんなことをこの書籍と海への旅で何か問われているように感じました。
O’Tru no Trus 作品集「True noon」
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