Tsuzuru

名刺


名刺は「私は、こういう者であります。」と自分が何者であるかを相手に示すためのものであると同時に、その小さな紙の中で会社のセンスやフィロソフィーが垣間見れるものでもありますね。

会社という枠組みの中の誰々です、もしくはフリーランスの方は〇〇という肩書きのある何々です、というのが一般的。その人自身というよりか会社の名前、肩書き、それがあってやっと個人の名前が浮き出る、という順番な気がします。

日本でビジネスをする上で名刺はとても大切で、忘れたらダメ! 的な空気がありますが、私は名刺をよく忘れてしまいます….。名刺を渡す際も照れくさかったり、どこかぎこちなかったりして、これまで名刺を持ってくるのを忘れたがためにチャンスも逃していたかもしれません。(たぶん…)

どうしてこんなにも名刺という物の存在が私の中で薄いのかを考えたのですが、会社という組織に属していながらもどこかで個人であるという意識が強いからなのかも? しれません。
会社という大きな枠があってこその「個人」なのか、「個人」があって会社が成り立つのか。どちらも正解ですが篠原紙工は後者の考え方の要素が強いのかな。そのおかげで私はここで帰属意識と個人とのバランスがうまく保たれていると思います。

篠原紙工では個人を尊重して、その人がその人らしく発揮できる環境を整えることを大事にしていますが、どういう状態が自分らしくて、自分は本当のところどんな考えを持っているか、って改めて考えると分からないという人もいるかもしれません。もしかして社員マニュアルみたいなものがあったほうが人は楽なのかも?

となると篠原紙工の環境は難しいかもしれない。マニュアルも何もないし、まずは自分で考えて。とある意味、放任的な…。でもそうやって「分からない」状態を自分で明らかにしてゼロ地点から試行錯誤、自分で考えたり行動したりすることに意味があると思ってます。結局、会社は見守っていろんなチャンスを与えることしかできない。


と、ここまで書いて、
新しくデザインを変えて名刺を作っているのですが、どんな名刺にするかの案を考えながら改めて「個」を意識することが強い会社だなぁ…と。でも凸凹でいろんな人が集まってる方がきっとおもしろい。
最後に、名刺の役割って挨拶して相手に渡した瞬間ほぼ終わるのではないかな?あれも日本においては小さな儀式みたいなものだと思う。顔を合わせて挨拶をし、自分の仕事に関しての情報が入った小さな紙を交換する。一瞬のコミュニケーションで日本人ならではのアイスブレーク。その一瞬でも何か印象に残るような名刺交換できたらいいなと思う。

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