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Hello, CDとレコード

篠原紙工は音楽関係の仕事も時折しています。紙のCDケースやブック付きCD、レコードの紙ジャケなど。その昔、90年代CD全盛の頃はプラスチックケースに入っている中綴じされた歌詞カードの生産もたくさんしていたとか。篠原紙工のHPにもいくつかここ近年のCD制作事例を紹介しています。どうぞご覧くださいませ。

もう6月も終わりなのですが、雑誌POPEYE6月号は「レコードと時計」特集でした。その中に”「なぜわざわざそんなことするの?」っていうことが今の世の中にはいろいろある。スマホ一つあれば事足りるのに。レコードで音楽を聴く、時計を身につけて時間を確認する、ってことはまさにそういう類のことだよね。”

この文章が私にとっては印象的でした。懐古主義、レコードはもはや過去中の過去のものなのか?「わざわざ」という単語に引っかかったのか、時計やレコードは私の中では「わざわざ」と思う行為に入っていなかった!レコードの操作っていつやってもワクワクするし、昔も今も特別な行為、所作です。でも、確かにスマフォ一つで操作してしまっている今、言われてみれば「わざわざの行為」かもしれない。わかっちゃいるけど時代の変化をガツンと感じさせられた文章でした。同時に自分にとっての音楽、レコードやCDへの熱が再び湧き出てきました。

そんな思いから先日、両親の家に行った際に恐る恐る過去によく聞いていた自分のCDがガッツり入った段ボール箱を探し出し、懐かしい想いでCDを手に取りました。LP盤レコードに比べたらCDは小さいけれど、歌詞カードや解説などアーティストの世界観がCDという物に溢れていて、音源以外のセンスが細かく伝わってくる感じがしました。昔好きだったミュージシャンが特殊加工の(本になっている形)CDジャケットをつくった際に「このジャケがつくりたくて音楽を作ったようなもんだよ」と言っていたのを思い出しました。音楽が先なのか、ジャケが先なのか、どちらも大事ですけど、手に取る方としても音と同時に毎回どんなデザインワークで出てくるかを楽しんでいたのを思い出します。同時に眠っているLP盤レコードも掘り出してみたのですが、やっぱり正方形の大きいジャケットのアートワークはみているだけでも楽しいし、迫力満載。顔面どアップのジャケットなんて部屋にあるとかなりの存在感。スマフォの小さな画面ではこの感じは得られないな〜なんて思いました。

本づくりとCDのジャケットづくりはもしかしたら似ているかもしれない。中身のコンセプトやテーマを考えながら外枠のデザインや紙質を選んで形作っていく、CD制作ももしかしたら色々と形や大きさなど制約があるのかもしれないけれど、枠を外したものを作ってみたいと思う人は多いかもしれない。スマフォだけで聴ける身軽な世界もいいけれど、音楽を形と共にトータルで作品の世界観をつくりたいという人はとても応援したくなる。音楽と製本。

ちなみに弊社の代表がこの号でちょろっと紹介されております。「hello,Work こんな仕事があったのか」というコーナー。What’s 製本ディレクター
POPEYEさま、素敵な文面をありがとうございました。いつものオフィス&ファクトリーが違うところのようにも見える。


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