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本の奥付も映画のエンドロールのように
心ときめいた依頼
装幀家である菊地信義さんのドキュメンタリー映画「つつんで、ひらいて」のパンフレット制作の問い合わせがありました。話を受けた篠原は装幀や製本に興味のある人が観に来る映画のパンフレットに関われることは光栄だと思い、この案件は相談を受けた時から是非とも受けたいという積極的な気持ちでした。
先方が希望していた冊子を作るには技術的に難しいと様々な加工会社に断られた結果、篠原紙工にて初めての打ち合わせの時に持ってこられた冊子の形は変則的な形状の中綴じでした。まずは予算や技術的なことを考えずに、本来の希望を尋ねたところ、中ミシン綴じ冊子であることが判明。それを軸にしながら限られた条件の中でベストな方法を探り、希望の形にすることができました。
製本会社も交えての映画トークショー
打ち合わせの際、配給会社の方からの「この映画は、本に携わる仕事をされている方々にこそ、ぜひ観てもらいたい。」という一言から篠原は、篠原紙工で今までお世話になった方々を中心に招待するのはどうだろう?と提案。そこから話は膨らみ、渋谷の試写室で上映会とトークショーを行うことになりました。
試写会当日はたくさんの方々が集まり、お互い名前は知っているものの実際に会ったことがない方同士が名刺交換をしたり、仕事の話が始まったりとまるで同窓会のような雰囲気でした。そして、トークでは篠原紙工も連載枠を頂いてお世話になっている「デザインのひきだし」の編集長である津田淳子さんと映画監督の広瀬奈々子さん、篠原との3名で映画の感想を話し合いました。
広瀬監督はこの映画では限りなく情報を削ぎ落として作ったと語っていましたが、津田さんも篠原も装幀家である菊地さんの発する言葉の奥にある意味を考えている間に、次の言葉が語られ、言葉や説明のシーンはすごく少ないのにも関わらず、自分の思考が映画に取り残されないようにするのが大変だった。そしてこの映画は繰り返し見る度に新たな解釈が生まれそう、と語り合っていました。
映画制作も製本制作も同じ想い
後日、広瀬監督は篠原紙工へ会社見学に来てくださり、その際も篠原とお互いの業界の話で花が咲きました。そこで興味深かったのは、映画業界はとにかく携わる人の数が多く、そこで大切なのは監督の想いを共有し、お互いに思考を理解するということでした。カメラマンも表面上は監督の指示の元で動くけれども、その根本にあるのはその映画に対する想いを分かり合えてからの関係性が大事だと。それは製本も同じで1冊の本ができるにはたくさんの人が関わっています。常日頃、篠原は分業作業になりがちでチーム感が芽生えにくい製本業界の難しさを感じていて、想いの共有なんて主張する方がおかしいのかと自分を振り返ることも多々あったのですが、広瀬監督との話の中で改めて自分の考える想いの共有、チームの大切さを再確認することができました。1冊の本の背景にどんな方々が関わり、どんなエネルギーを注いでいるか、本の奥付けも映画のエンドロールのようになるのが当たり前になったら…。そんなことを思っています。
広瀬奈々子監督からのコメント
『つつんで、ひらいて』という映画のタイトルにちなんだ観音開きの表紙、ページをめくる紙の触感、ミシン綴じの素朴さなど、手に取れば隅々まで配慮が行き渡っていることがわかると思います。一見シンプルなプレスとパンフレットですが、実現は多事多難で、あらゆる会社に製作を断られた末に、唯一快諾してくださったのが篠原紙工さんでした。
私が実際に篠原紙工さんを訪れたのは、都内での上映が無事に佳境を過ぎた頃。通常の規格から多少外れているくらいの認識はあったものの、いかに大変なお願いをしていたか、このとき初めて冷や汗をかきました。丈違いの表紙と本文を一緒に綴じるには難易度の高い技術が必要であること、これが機械にはかけられない理由。一つひとつの手間暇が、胸が痛むほど理解できて、思わず「すみませんでした。」と平身低頭した私に、篠原さんは真面目な顔をして「厄介だから有り難いんです。」とおっしゃいました。しきたりに縛られない風通しのいい社風は、社長の篠原さんのお人柄そのもの。工場を後にして交わした無礼講のお酒が忘れられないほど美味しかったこと。それ以来パンフレットを手にするたびに、厄介なものに目を輝かせる篠原さんの顔が浮かんでくるようになりました。
デザインしてくださった菊地信義さん、水戸部功さんの思いと、作ってくださった篠原紙工さんの思いがなければ叶わなかったこの形を、映画と同等に、とても誇りに思っています。
担当 : 篠原慶丞
今回の作品は自分にとって、とても想い入れの深い仕事になりました。装幀の世界と映画の世界に視点を往復されることで自分が目指すべき新しい製本の世界が見つかり、業界の枠を越えた貴重な出会いを繋いでくれました。