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長い物語の始まり
篠原紙工のメンバー、新島龍彦のデザイン・装幀による本「芝木好子小説集 新しい日々」。4種類の表紙が違うデザインが特徴の通常版、そして、新島によって一冊ずつ丁寧に手製本で作られる特装版の2つの方法で出版されるという篠原紙工の強みを生かした案件。
小説家・芝木好子さんの没後30年を節目に、書肆汽水域(しょしきすいいき)という個人出版社からこの小説集は刊行されました。書肆汽水域とは梅田 蔦屋書店で店長 兼 文学コンシェルジュを務める北田博充さんの審美眼で選び抜いた本を、自分の手でつくり、販売も手がけるひとり出版社です。新島は以前にもこちらで紹介した 『石』と『聲』の出版記念イベントで北田さんと出会ったのがきっかけで今回の本制作に声がかかりました。大手書店員として仕事をする北田さんは書店で数々のお客さまと話す中で、女性が女性として生きることの喜びや憂い、女性の生き方について、深く考えるようになったと話しています。芝木作品に登場する女性たちは年齢に関係なく、忘れられない過去やその時々の出来事に心を揺らしながらも、「今」を受け入れて生きています。その姿を、今の時代を生きる女性たちに届けたいという北田さんの想いから、今回の小説集は作られました。
女性の一生を表現する本
本の装幀デザインの打ち合わせの際に北田さんから「短編集には必ず花が出てくる作品を選びました。花と女性が重なるような、1輪の花のような本にしてほしい。」と伝えられました。新島は芝木好子さんの小説を読み、正直な感想はというと、読み終わった後に人生で未来に向かう輝かしい気持ちになる、というよりは重力みたいなものに引っ張られるような、過去を背負いつつ今を懸命に生きる女性像が思い浮かんだと語ります。内容を自分なりに噛みしめながら、女性の一生を感じられるような本にしたい、しかし、果たして、それはどんな本なのか…。30代前半の男性である自分がどうやってこの本の装幀をデザインすべきか、疑問と不安が心の中にたくさんありました。考えた挙句、自分とは違う別の要素を取り入れようと決め、イラストや写真などを取り入れる仕様はどうか?という案を出しました。2人は打ち合わせしていた蔦屋書店の広い店内をぐるぐると歩きながら、デザインのビジュアルを話し合いました。イラストは使わない、人の姿は表紙にしたくない、あれも違う、これも違う、と本について語る北田さん。新島はその様子を観察しながら、北田さんが表紙に窓枠がある本を何度か手にとっている姿を見て、今回の小説集は箱に窓抜き、そこから花の写真がのぞくようなデザインはどうか?と思いました。小説に登場する女性たちは、ずっと忘れられない過去を抱えながら生きています。しかし、その姿は決して今を嘆いているわけではなく、過去を冷静に見つめ、今を大切にしながら生きる強さとしなやかさを持っています。そんな女性たちがひっそりと窓から過去の自分を見ている。そんなシーンが新島の心に浮かび、装幀の表紙デザイン案を作り上げ提案していきました。
最終的に表紙には写真家の馬場磨貴さんによる花の写真を使うことになりました。新島は彼女の写真作品を見た際にこの小説集にぴったりだと思ったと話しています。馬場さんの花の写真には咲き頃の花だけでなく、枯れたもの、散りゆくもの、つぼみ、花の一生の中にある、その時々の姿が美しく撮られていました。芝木さんの今回の作品集には20代から80代と幅広い年齢の女性の生き方が描かれています。その人生と花の生き方を重ね合わせ、馬場さんの写真が際立つようなデザインに決めました。製本仕様はハードカバーの上製本。主に女性に読んでもらいたい、という北田さんの想いから手に持ちやすいように定型の大きさより少し小さくし、ハードカバーの表紙も薄めの芯材紙を使い、軽さと柔らかさを出しました。4種類とも、表紙写真、スリーブ、スピンひもの色も違い、細かなところに心がときめく仕上がりです。新島は「北田さんが『石』と『聲』の作品を見て自分の能力に注目してくれたことに嬉しくも、内心ではあれを超えるようなことがまたできるのかな?という緊張感もありました。でも、弱気にならずに期待に応えたいという思いの方が大きく、色々な視点からアイデアを出しました。」と話しています。
特装版へとつながる物語
「北田さんは大手書店員、北田さん自身が手がけた本が4種違う表情で書店に飾られていたらその空間は映えるだろうし、気分も上がるはず。そんなことを思いながら作りました。」と新島は自分が作った本で誰かが喜ぶ姿を想像しながら、制作を続け、ちょうど通常版が仕上がる頃でした。通常版も上製本という本としては十分クオリティの高いものですが、芝木さんや北田さん、そして、自分の本に対する情熱をよりダイレクトに込めたものは作れないものか?とフツフツと心の中で何かが芽生えていました。
そんな折、芝木さんの別の本で「折々の旅」というエッセイを読んでいた時のことです。その中に、ある染織家のことが描かれている物語がありました。どこかで聞いたことがあるような物語。このことがきっかけで、特装版を作ることがまるで何かに導かれるかのような流れになっていきました。
写真 : 馬場磨貴
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担当 : 新島龍彦
本をデザインさせていただくたびに、新しい人と出会い、様々な出来事があり、色んな人に支えられながら本は生まれてくるのだと実感します。書店員として本と向き合う北田さん。作り手として本と向き合うわたし。様々な困難がありながら、お互いが納得できる着地点を選択してこれたと思っています。これもまたいつも思うことですが、この本と北田さんの想いが、多くの人の心に届くことを願っています。