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現在の篠原紙工のはじまり
これまでにない大きなプロジェクトに参加
2010年にハイデルベルグ・ジャパン株式会社と日本グラフィックデザイナー協会JAGDAのプロジェクトで発行した日めくりカレンダー。1ページも同じ技術や紙が続かず、365人のデザイナーさんが1日をデザインするという内容。
通常の日めくりカレンダーとは異なり厚みのある紙を365枚も使用していることからずっしりとしたカレンダーになり、これをどう製本したらいいか?という段階でハイデルさんから相談があり篠原紙工が携わることになりました。プロジェクトの概要やカレンダーの仕様を考えると2穴リングバインダーで製本するのがベスト考え、2穴リングバインダーで簡易的な見本を作成し、篠原は打ち合わせに臨みました。ところが、このプロジェクトのアートディレクターさんからはダブルリングで綴じる要望がありました。「取り外しができる2穴リングバインダーだと外してしまった場合元に戻すのが大変だからリングはダメ。」の一言で却下。
このカレンダーの厚みを綴じられるダブルリングが無いためバネ工場などに問い合わせてオーダーメイドの交渉もしましたが、予算に見合わず断念。
いつもお世話になっている協力会社に相談したところ、イギリスには大きいダブルリングがあることが判明。しかしそのリングを輸入したとしてもそれを綴じる機械がない…。どうしよう? ではその機械は作ろう、ということになり、手動の (50mm)リング製本機械を作ることにまでなりました。(こんなに簡単に機械って作れるものなのですね…)
デザイナーという世界への驚きと刺激
「できる」という確信のもと自信を持って再び打ち合わせに参加し、篠原の中では横位置の卓上カレンダーを想像していましたが、アートディレクターさんやデザイナーさん達は縦位置で不安定な部分は太いゴムバンドで止める仕様を提案してきたのです。
製本の立場では内心「ええっ…使いづらい…」の一言。この当時の篠原にとってデザイナーがわけの分からない人たちにしか見えなかったと言っています。
打ち合わせで驚くことは製本に限らず、カレンダー本文制作の打ち合わせの際に初めてたくさんのデザイナーさん達と挨拶を交わすことになったのですが、ラフな格好で帽子をかぶったまま会議に参加する人、自分よりはるかに年上のオシャレ年輩デザイナー、自分の周りにはいない人ばかりで刺激を受けたのを今でもよく覚えています。
相手の怒りをモチベーションに変えて
この本文の打ち合わせでも一筋縄ではいかず、ディレクターの要望は1ページたりとも同じ紙、同じ印刷技術が続かないでランダムにしたいということでした。しかしこのランダムさが製本の世界では乱丁、落丁の原因となるためなんとか避けたい。
ハイデルさんと篠原紙工との間だけである程度の規則性を持たせたやり方でいこうと決めたところ、その内容がディレクターさんの目に留まり、お怒りの言葉が発せられました。篠原も大人になってからこんなに怒られたのは初めて。心底悔しい気持ちをモチベーションに変えて新たにランダムさと作業効率を掛け合わせたやり方を一から考え直すことにしました。
協力会社と共に夜遅くまで仕様を練りだし、どうにか乱丁落丁が出ない方法を生み出して本番にまでたどり着きました。
生まれて初めての眠れないほどのプレッシャー
印刷会社は計6社、それに対し携わるデザイナーさんは365名。印刷会社1社あたり約60名のデザイナーさんを相手に、色校正などの調整が入ります。この時の篠原に印刷の知識は無く、印刷会社さんの大変さを横目で見ることしかできませんでした。しかしその大変さを知ったせいで自分の製本工場に日本全国から一気に刷り本がやってきて断裁をすることを考えるとそのプレッシャーは計り知れないものがありました。
断裁は一度失敗したら取り返しがつかない。ここまでの印刷会社さん、デザイナーさんの努力を考えると製本工程に入る前日の夜は眠れなかったと。現場にも細かい指示と確認を何度も繰り返し制作に当たりました。
最終的には大きなトラブルもなく無事納品まで至り、後日、篠原は当時怒りを露わにしたディレクターさんから、「よくやってくれた。君じゃなかったらこの仕事はできなかったよ。」と言われ、今までの不安や苦労したことが一度に吹き飛び、喜びの気持ちでいっぱいになりました。
あの時のディレクターさんの怒りも仕事に対してのエネルギーが溢れているからこその怒りであってそれに対してこちらも対等にいくぞという覚悟が結果、良い関係を生み出したと思っています。
今思えばこれが現在の篠原紙工につながるきっかけだった
当時の篠原紙工は印刷会社からの刷り本支給の仕事が大半、制作の初期段階から携わることやデザイナーと直接仕事をすることはなどほぼ無く、入ってきた仕事を早くやるというのが当たり前でした。しかしこのプロジェクトでは一つ一つの段階で重みがあり、どの工程においても自覚的に物事を見つめて関わっていくことの楽しさに気付かされ、新たな目線で製本という仕事を始めるきっかけになったのです。
デザインの意味を考える、デザイナーさんの意志を想像してみる、チームで一つの方向性を共有して作り上げるという思考もこの頃くらいからはじまりました。今の篠原紙工の原点を作り上げた案件でもあり、今までで一番難しかった案件でもあります。
ここで難しい案件というと技術的なことを想像されるかもしれませんが、一番難しいのは技術ではなく人との関わり方。でもその人との関わり方が難しいほど喜怒哀楽があり、そこにドラマが生まれるのがこの仕事をする上での一つの楽しさだと思うのです。
担当 : 篠原慶丞
今でも記憶に残る、篠原紙工にとっても私にとっても大事なプロジェクトです。